来年もまた折鶴をサダコにあげたい!
ヴィクトリア・ジリオニテ (13歳/カウナス出身)

 サダコのモニュメントを見て感動しました。人々が彼女のことを忘れないで、彼女のためにこんなにすてきなモニュメントを作ったことは素晴らしいと思います。平和公園で原爆資料館に行きましたが、広島はとてもきれいな町だったのに原爆で完全に破壊されてしまったことを知りました。そこで生き延びることができた人たちがいたということが私には想像できません。資料館でサダコがつくったという小さな折鶴を見て私は泣いてしまいました。原爆は本当にひどい。私は原爆に反対です。沼田さんはお気の毒です。でも彼女が成長する木を見て励まされ、生き続けてこられたことを嬉しく思います。私たちに会ってくださって、お話をしてくださって本当に嬉しかった。宮島への旅行はとても楽しかった。人々が千羽鶴を折り続けるのはとてもいいことだと思います。リトアニアで折鶴のイベントをやるというアイディアは気に入っています。来年もまた同じイベントをやって、サダコに持っていってあげられればいいと思っています。


沼田さんのお話を聞いて感動しました!
デヴィダス・ベセリス (14歳、イグナリナ出身)

 日本はいい人たちのいるいい国です。日本の人たちはとても親切でやさしいので、ボクは日本人が好きです。戦争は人間を攻撃的にするので、日本人がやさしくて親切だなんて信じていませんでした。でも今は信じています。戦争が日本人を強くしたのだと思います。ボクは核爆発を生き延びた沼田鈴子さんのお話を聞いて感動しました。戦争を二度と経験することがないことを祈っています。日本料理はとても美味しかった。日本人は海藻を食べますが、おいしいしヘルシーだからです。ボクも海藻は好きです。日本には山がいくつもあるので自然が美しいです。山には猿やイノシシなど、多くの動物がいます。日本の生活はどんどん良くなっていると思います。日本での生活はゆっくりしていて近代的です。日本はとても近代的な国です。また日本に来たいと思います。


長いプロセスのクライマックスだった日本への旅
ロナルダス・ラシンスカス(ジャーナリスト/リトアニアにおける
ナチスとソ連の占領政権の犯罪評価国際委員会メンバー)

 日本訪問は、建設的な思い出、善意、そしてすてきな人たちとの忘れがたい出会いに満ちた旅でした。私にとってこの旅は(2006年)8月5日から始まりました。この日、私はカウナスのコルピン・カレッジが組織した広島と長崎の原爆被害者と連帯する平和行動に参加しました。そこで知ったササキサダコの物語はとても感動的でした。リトアニアの子どもたちが千羽鶴を折って広島に届けるというのはとても良いアイディアだと思いました。この素晴らしいイベントを組織した人たち、参加した人たちはとても誠実だったので、私もすぐにその一員に加わりました。今回の訪問の計画・準備段階はそれ自身がすばらしいものでした。だから、日本への訪問はこうした長いプロセスのクライマックスともいうべきものだったのです。
 日本で何よりも忘れがたいのは、人でした。フレンドリーで誠実な多くの感じのよい人たちとの出会いがありました。通りでも、レストランや居酒屋でも、店でも、至る所で人々は礼儀正しく感じが良かった。本当に至る所で!日本訪問のなかで私が何よりも強烈な印象を受けたのはそのことでした。
 また日本訪問のなかで、私は、何世紀にもわたる日本の歴史、文化、精神のルーツに触れ、見、そして感じるという忘れられない機会をもつことができました。そしてそれは、日本を訪れ、その国の人々と会い、歴史的・文化的場所を訪れることなくしては不可能なことなのです。成田山新勝寺、宮島、広島平和公園を訪れたことは忘れられない思い出です。
 広島平和公園の訪問そして被爆者の方たちとの出会いには、特別の感情があります。一方では私は、被爆の経験が日本の人々にとっていかに辛いものであるか、またその記憶が、さまざまなモニュメントや人々の心のなかにしっかりと失われずにいることを十分に理解していますが、また一方では、自分たちの命をかけて平和運動に取り組んできた強い精神を持った多くの人々とも会いました。彼らのモチベーションと情熱はきわめて強烈なので、会った人は誰でもその考えに圧倒されてしまいます。
 もう一つ、私が忘れられないことがあります。それは、平和公園や原爆資料館に実に多くの子どもたちがいたことです。私は彼らを眺めました。そして、歴史的な記憶がいかに真剣に継承されているか、また日本の人々がなぜ強いのかを初めて理解したのでした。